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【明法散歩道(校長・教頭ブログ)第6回】

明法散歩道
流されたもの 流されなかったもの <その1>
                    明法散歩道(校長・教頭ブログ) No.6

H24.1.10(火)
「天災とは言ひながら、東北の津波は酷(ひど)いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛てをして居るか・・・・。手(て)温(ぬ)るい寄付金などと言うて、少し計(ばか)りの紙ぎれを遣(や)ったところが、何にもならないよ。・・・・」
(勝海舟「氷川清話」講談社学術文庫p175~177)
 
 明治29年、晩年の勝海舟は、当時起こった東北の大津波に対し、上記のように語っている。大津波は、過去に何度も起こっていたらしい。その都度、東北の人々は、相互に支えあい、再生をかけて立ち上がってきた。しかし、このたびの災害は、とてつもなく大きなものであった。


すぐ現地にかけつけた明法生がいた

 震災後の春休み、直ちに被災地に駆けつけた明法生がいた。高3生の上野季生(ときお)君である。彼は被災者のために何ができるのか悩んだ末、ボランティアの道を選んだ。知人の"つて"をたどり、石巻市へ向かったのである。当初、木材の片付けなどを想定していたが実際は違った。彼のかかわった仕事は、子供たちの遊び相手。体育館に作られた避難所では、憔悴(しょうすい)し言葉を失った大人たちの中で、異様に元気な子供たちがいた。その無軌道なエネルギーに、彼はとことん付き合ったのである。      
              
「何もできなかった!」

 被災地で何を感じたか、上野君に聞いてみた。彼は言う。①「何もできなかった」、②「時間が止まっていた」、③「子供が異様に元気だった」、と。それは、大災害の大きさと深さを目の前にした人間の、偽(いつわ)らざる心境といえよう。
学校のグランドは駐車場と化した。校門そばに残ったわずかなスペース。子供たちは、そこにあるもらいもののおもちゃの山で、なすすべもなく遊んでいた。

大災害で"流された"被災地の「生活」と「生きる意味」。"流されなかった"子供たちの「エネルギー」と「明るさ」。
全国から、多くのボランティアがかけつけた。しかし、その熱い思いとは裏腹に、得たものは、無力感と沈鬱(ちんうつ)なる静止した時間だったのだろうか。  
多くの明法生やOB、教職員も、震災後の活動にかかわった。また、震災時の本校生徒、教職員、保護者の方々の感動的な対応も忘れてはならない。そのすべてをここに語ることはできないが、いくつかその姿を振り返ることで、明法の"絆"を検証していきたい。 <その2>へ続く
(文責:教頭 早乙女)