明法ニュース 学校生活

学びましたー沖縄修学旅行2日目

高等学校
学校生活

朝食1

朝食2

平和講話1

吉嶺さんの名刺の裏ー終戦当時の沖縄南部

アブチラガマの案内図

案内センターに掲げられた「命どぅ宝」

昼食1

昼食2

ひめゆり学徒隊に合掌

平和の礎

海を眺める

今日のシーサーー沖縄平和祈念資料館

国際通り散策1

国際通り散策2

平和学習に取り組みました

沖縄修学旅行2日目。一時雨が強く降りましたが、その中でしっかりと平和学習に取り組みました。

「戦争は人間の心を狂わせる」ー平和講話
2日目の平和学習の最初は戦争体験者の方からの平和講話でした。
お話しくださったのは、沖縄県観光ボランティアガイド友の会の吉嶺全一さん。沖縄戦終戦当時13歳だった吉嶺さんのお話はまさに13歳の少年が目の当たりにした「リアル」な戦争体験のお話でした。開戦当初は沖縄でも戦争は遠い世界だったこと、日本軍の特攻隊が米軍艦隊を攻撃したのを見て大喜びしたこと、目の前に殺された方が山のようにいたこと、壕に隠れていた吉嶺さんたちのすぐそばに米軍の戦車が迫ってきたときの「ここで殺されるんだ」という切迫した思い、投降の勧告に従わざるを得ず投降したときに米軍の兵隊からもらった水や缶詰の美味しさが「天国の美味しさ」と感じたこと。戦争の知らない世代の私たちにとっては想像もつかないリアルなお話を伺うことができました。
「戦争は人間の心を狂わせる」という言葉は胸に突き刺さりました。
吉嶺さんからは最後に平和の大切さとともに、日本人は平和に貢献できる存在だから英語をしっかり学んで将来頑張ってほしいというお話をいただきました。

吉嶺全一さんの過去の講話が動画でアップされています。こちらから

「命どぅ宝」ーアブチラガマ見学
 生徒たちは南部戦跡に移動し、アブチラガマ(糸数壕)を見学しました。このガマは全長270mの自然洞窟(ガマ)で、沖縄戦の際に糸数住民の避難場所や日本軍の地下陣地・倉庫としても使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室にもなりました。あのひめゆり学徒隊の女学生16名も配属されました。
 平和ガイドの方の先導でガマに入りました。そしてガイドの方から当時のさまざまな様子を聞きました。ひめゆり学徒隊の方々の働きの様子、脳症患者の方が治療も受けられず、真っ暗なところで苦しみながら亡くなったこと、米軍の接近で多くの患者さんや看護師さんなどがガマをあとにしたのちも取り残された方々の壮絶な死、ただその中でも7名の方が奇跡的に生き延びたことなど。生徒はこの場所に来なければ感じることのできない貴重な体験をしました。ガイドの方からは見学態度を誉められましたが、それだけ生徒たちの心に刻まれたものがあったのだと思います。
 ガイドの方からは最後に、かつてある見学者の方が語ってくれたという「命に替え玉(スペア)はありません」という言葉を紹介してくれました。そして、「命どぅ宝」という言葉とともに、繋がってきた命を大切にしてほしいという言葉をいただきました。まさに本校の建学の精神にある「この世に生を受けたことに感謝し」ということを生徒たちは学びました。

アブチラガマの公式サイトはこちらから

ひめゆり平和祈念資料館・沖縄平和祈念資料館

 午後は2つの資料館の見学です。米軍の攻撃によってひめゆり学徒隊に多くの犠牲者が出た伊原第三外科壕で手を合わせたあと、資料館に入った生徒たちは、学徒隊の証言などに熱心に耳を傾けたり、手記に目を通していました。
 沖縄平和祈念公園に入ってからは、沖縄戦の戦没者の名が刻まれている平和の礎を見学したあと、資料館で沖縄戦や戦後の占領地代などの沖縄について学習しました。

ひめゆり平和祈念資料館の公式サイトはこちらから
沖縄平和祈念資料館の公式サイトはこちらから

 今日1日を通じ、生徒たちは平和の大切さや命の大切さを改めて感じてくれたことと思います。

国際通りで班行動

平和学習に取り組んだ2日目の夜は、班ごとの国際通り散策です。
ステーキ! 焼き肉! ハンバーガー! あぐー豚! などなど、いろいろな夕食を楽しんだようです。また、お土産もいろいろ選んだようです。
「奇跡の1マイル」と言われる、戦後沖縄復興の象徴である国際通りは、中国からの観光客でいっぱいでした。